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2009年10月 アーカイブ

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君が代

「君が代」が国歌として扱われたのは、戦前からです。教科書の中で国歌と初めて記されたのは、1937年の「尋常小学校修身」からで、そこでは次のように書かれています。

「『君が代』の歌は、我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いや、いつまでも、いつまでも続いてお栄えになるように。という意味で、まことにおめでたい歌であります。私たち臣民が『君が代』を歌うときには、天皇陛下の萬歳を祝い奉り、皇室の御栄えを祈り奉る心で一ぱいになります。」(一部口語訳)
しかし、この解釈のままでは、日本国憲法の主権在民の精神に反することは明かで、政府は国歌国旗法制化審議の中で苦し紛れの政府解釈を行いました。それは、二転三転するいい加減なものでした。

政府が法案提出と同時に出した政府統一見解(1999.6.11)

 「君」とは、「大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である。」
 (「君が代」の歌詞は、)「日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である。」

 この二つの解釈は、あまりにも矛盾しています。「君」=天皇と言いつつ、「君が代」を「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」と強引に解釈しています。内外から激しい批判をあびた小渕首相(当時)は、すぐさま政府解釈の変更を行います。

小渕首相(当時)による解釈の変更(1999.6.29)
(「君」とは)「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す。」
 「『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる。」(君が代の歌詞を)「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当。」 

いかに苦し紛れの解釈変更か一目瞭然です。政府がいかに解釈をごまかしても、「君が代」は戦前の「尋常小学校修身」の「『君が代』の歌は、我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いや、いつまでも、いつまでも続いてお栄えになるように。」と全く同じものです。憲法が代わったから解釈も代わったとするのは、全くのご都合主義です。
現に法制化後の学校は、「尋常小学校修身」で書かれている通りになりつつあります。先に引用した「尋常小学校修身」は、次のように続きます。

 「『君が代』を歌うときには、立って姿勢をただしくして、静かに真心をこめて歌わねばなりません。人が歌うのを聞いたり、奏楽だけを聞いたりするときの心得も同様です。」

 まるで、現在の文科省・教育委員会・校長の言葉そのままです。言うまでもなく日本国憲法では、主権者は国民です。天皇ではありません。なぜ主権者である国民が「象徴」、単なるシンボルでしかないものに「敬愛」や「尊敬」を強制されなければならないのでしょうか。私たちは、戦前のような「臣民」や「赤子」ではありません。

君が代はわりと頻繁にあーだ、こーだ言ってたりするのを耳にしますね。